
3.11悲劇の大川小学校
▼この場所はこんなところです
2011年3月11日の東日本大震災において、石巻市立大川小学校では全校児童108人のうち74人(うち4人は未だ行方不明)、教職員13人のうち10人が津波の犠牲となりました。
この事案が「悲劇」と呼ばれる背景には、以下の点があります。
避難の遅れと判断: 地震発生から津波到達まで約50分間の猶予があったにもかかわらず、校庭にとどまり続け、最終的に目指した避難場所が山側ではなく、津波が遡上してきた北上川に近い「三角地帯(校庭よりわずかに高い場所)」でした。
事前の備え: 学校の危機管理マニュアルに具体的な避難先が記載されていなかったことや、裏山への避難という選択肢が取られなかったことが問題視されました。
裁判の結末: 遺族が提起した国家賠償請求訴訟では、2019年に最高裁で「学校側は津波を予見し、避難させる義務があった」とする判決が確定し、市と県に賠償が命じられました。
現在は、防災学習の場として石巻市震災遺構大川小学校が整備され、震災の教訓を次世代に伝える施設となっています

▼3.11悲劇の大川小学校 本編
大川小学校データ:宮城県石巻市釜谷字韮島94番地
石巻市立大川小学校では、大震災後の津波により児童108名中74名・教員10名が亡くなりました。海からは3.7km内陸に位置しており、津波は到達しないと思われていましたが、未曽有の地震による大津波は川を遡上し、15時37分ごろ、大川小から避難する児童らを前面から津波が襲ったのです。
14時46分の地震発生後、15時には大津波警報が発令され町が避難を呼びかける中、50分間校庭にとどまり続けたこと、二次避難先が想定しておらずその場で議論を行ったこと、結果的に高い裏山ではなく「橋のたもとの小高い場所」への避難を決めたことなど、事前事後の不適切な対応を含め、多数の問題が明らかになっています。
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